<世田谷物語>-(5)What's found in ”AKIBA”界隈

 かつての家電王国AKLIBAが→量販店・通販に取って代られて久しい。

そして今や→「ホビー王国」としてゲーム~グッヅ、さらに癒し系の「メイド・カフェー」でご主人様にもなれる。

 

 そんなAKIBAにもう一つの顔を見つけた。都営新宿線「岩本町」駅から神田川沿いに辿って行く。

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  和泉橋の「船着場」に人だかり??と思いきや~~

 人の集まる目的は~~「喫煙:SMOKING]にあった。

 

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    マップで確認すると・・・「千代田区指定喫煙所」のマークがあった。

  この丁度裏側に有料の「Cycle Parking」を見つけた。

   自転車・バイクで来た人たちへのサービス。

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神田川御茶ノ水方面へたどると、万世橋の船着場に出る。

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  此処は老朽化の故か、立ち入り禁止になっていた。

 

  万世橋から和泉橋~浅草橋方面を振り返ると、昔ながらの運河の風情が偲ばれる。

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  逆方面のお茶の水へは~~JR中央本線総武線が乗り入れる箇所になり、

  その高架鉄道路の橋脚はレトロな煉瓦造りであった.。

 

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  いよいよ~~電気街へと右折して進むと、夕暮れの街頭に「メイド」さん達の

  呼込みが始まっていた。

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  配られたチラシによると~~「癒しコース」30分 4,000円

  「アロマコース」 90分 13,000円であった。

 

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 当方は午後6時から飲み会の時間となり、

 この一角にあるダイニングバーへと急いだ。

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  午後9時半に散会して元来た都営新宿線「岩本町」へ戻る途中、ひときわ賑わう

 一角に出くわした。  

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  「立呑み ”串吟”」とある。店の外まで客が溢れている

   ~~若い女性が多いので料理も美味しそうであっが・・・・

  残念ながら当方既に満腹状態~~~次回是非トライしたい店であった。

        ーーto be continuedーー

 

<世田谷物語>-(4)What's booming in 桜新町(老人天国万歳)

 当地もちょっとした建設ブーム。

まずは、オリンピック競技の馬事公苑の増改築が急ピッチで工事中。

 

 それに並行して来年の消費増税を睨んだ駆け込み建設ラッシュ。

介護施設・大型マンションがようやく一段落。 

 現在は駅前通りが追込みに入った。

 

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     「KALDI 桜新町駅前店」昨年末オープン。1~2階がコーヒー・リカー・菓子類・ドライフーヅ売場。3階はダイニング・バー

 

 

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    駅前通りの向かい側では、パチンコ屋が→商業施設に改築。

  物販店舗にオフィスが1~2か月中にも開店しそう。

  これに呼応して、駅前商店街では飲食店の増改築・新築が真っ盛り。

 

 また一方では、100~200米内に同じく「事務所(1階物販店舗)」が更地になったばかり。果たして全て来年10月に間に合うのだろうか?

 

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 また「共同住宅(1階店舗)」も解体が終わり整地中。

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    下欄の写真は・・・・ 更に3ブロック入った更地で、

「ライフ 桜新町店」の骨組みが見えてきた。平成31年10月31日工事完了予定とある。

 こちらはチェーン店の綜合商業施設。食品売り場に、サービス・ショップ、物販店、レストラン等のテナントが入るもよう

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  駅から300~400米には既存の食品スーパーが6店舗あり、「ライフ」の新規参入で

7店目、熾烈な販売競争になりそう。これでスーパーがコンビニよりも数が多くなる。

 

 買物弱者、老人には福音だ。

既存スーパーは、ピーコック、いなげや成城石井、ムスビ・ガーデン・まいばすけっと、マルダイ生鮮市場。

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    老人天国万歳~~~

 

<世田谷物語>ー(3)バンクーバー駐在の4年間

プロローグの続き;京都から~船橋~そしてバンクーバー

 バンクーバーへ赴任しての急務はアパート探しであった。

 平社員の給料では、庭・車庫付きの戸建て住宅は望むべくもなく、駐在員仲間と同じタウンハウスを借りた。

 ベランダ付の2LDK。北米サイズは日本より5割方広かったがオフィスのあるダウンタウンに遠く通勤ラッシュに悩まされた。

 外航船が行き交う入江に架かる橋がネックであった。

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 <上欄の写真>左端のビルがオフィスの入っていたCPビル。

バンクーバー港発の豪華客船は「ラブボート」と呼ばれ、→カリフォルニア~アラスカ~北極の航路がある。

 

 2年目には我慢ならず、通勤に便利なダウンタウンのマンションへ引っ越した。

これで通勤は車で7~8分。外洋の海岸~観光名所の公園まで徒歩5~10分という環境であった。

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  マンションは写真の右端の奥。6階のベランダ付・2LDKであったがサイズは日本並みと狭くなった。

 それでも6階のベランダからは太平洋の水平線が望め、湾内に待機する貨物船が見られた。親戚・友人・知人だけでなく、出張して来る後輩たちも泊まりに来た。

 

 妻は英会話教室で知り合った外国人をよく家庭料理に招待した。京風の「ちらし寿司」や天婦羅が好評であった。

 お返しにスイス人から「チーズ・ホンジュ」韓国人から「キムチ」を習ったりした。

 

同じころ、クラスに通う日本人画家KUNIとも仲良くなり未だに家族ぐるみの付合いが続いている。

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   上欄の写真はKUNI邸の裏庭。

 神戸出身の彼とは同じ関西人という乗りで馬が合ったようだ。

 

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  上欄の写真はKUNI邸の廊下に見かけた色の楽しい絵画。

 XMASカードには毎年の世相を風刺した愉しいデザイン画を送ってくれる。

  彼は高級住宅街の大抵宅に加え、ヨットのオーナーでもある。奥様はドイツ人。

  

 かくして4年間の海外駐在はあっという間に過ぎ・・・・帰国して住んだのは元の

船橋のマンションであった。世田谷へ辿り着くのは帰国の1年後になる。

        ーーto be continuedーー

<世田谷物語>-(2)What's new today in YOUGA

f:id:KH1580097:20180901184158j:plain完熟バナナ

上欄

フルーツ台に吊るしたバナナ4本が同時に完熟・・・・・朝食のヨーグルトはこの

完熟バナナに酸っぱいグレープフルーツの取り合わせが抜群で完璧な前菜になりました。「今まさに熟れし歓び夏の果」

下欄

用賀駅前の奇抜にしてリアルな宣伝壁画・・・・有名なフランスはリヨンの「だまし絵」を凌駕する傑作ではありませんか!!フランスで客死した藤田嗣治も生きていれば絶賛してくれたでしょう!!ちなみにこの会社は「設計・内装リフォーム会社」です。

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<世田谷物語>-(1)プロローグ: 京都から~船橋へ

 

 世田谷に移り住んでおおよそ40年になる。

 その前は千葉県船橋市、そのまた前はカナダのB.C.州バンクーバー(2010年の冬季オリンピック開催都市)

 生れ育ちは1942年京都市の繁華街の真っただ中、洛中の皇居お膝元いわゆる「御所南」に位置する中京区。

 洛中の町家でも、不動産屋が御所南と呼ぶ路線価の高い地域で、育った家はまさに俵屋、炭屋、柊屋という京の三大老舗旅館がすぐ裏の通りというご近所の距離にあった。

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京の町家

  自宅から半径500メートル内には、北に京都御所・市役所・裁判所、南に錦市場(京の台所)、そして東に先斗町河原町といった繁華街もある。 

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  そんな男がどうして東京の世田谷に居ついたかをはしょって言うと、

 家業の呉服商(和装着物)を継がずに大阪の大学から商社に就職し、新入社員で東京勤務になった事に始まる。

  京都の家業を継がなかったいきさつもはしょって、いきなり新入社員の独身寮の話をすると、

 所在地は千葉県船橋市前原町で最寄り駅はJR津田沼であった。

  地図を捲って確かめると、隣の船橋駅は関西のTV番組でも川崎と並ぶ遊興地として取材されている地名であった。

 社会人の第一歩を踏み出すには、胸騒ぎをおぼえる地である。そして彼の地に引っ越して間もなく、オートレース場や競馬場にも近い事を知った。 

  独身寮から京橋の会社までの通勤時間は1時間で家賃はただみたいに安い。

 朝のラッシュアワーの満員電車さえ我慢すれば、給料を使い果たしても朝夕の食事代が翌月の給料天引なので喰いっぱぐれもない。

  難を言えば駅からのアクセスで急ぎ足で15分掛かることぐらいであった。

 朝は散歩の運動と思えば凌げるが、通勤帰りの夜道は堪えたので駅で仲間を募ってはタクシーの相乗りで帰寮した。  

  これぞ世にいうところの独身貴族であったが、寮生活はあっという間に規定による7年間の滞在リミットを迎え移転先を探さねばならない。

 東京に近い物件を買う金銭的余裕はなく、探し当てたのが船橋のマンションであった。それでも独身寮から1駅だけ東京に近づいた。

  入社10年目に結婚して所帯を持ったのもこのマンションであった。  

  ボクは船橋という土地に免疫が出来てそれなりに馴染んでいたが、京都に育った妻は異邦人の寂しさを味わっていた。

 しかも彼女の親戚が東京都目黒区の住人だったので、随分と肩身の狭い想いをさせた。彼女の頭は何が何でも東京に住みたい一念であったに違いない。

  そんな折に、結婚4年目で漸く海外駐在のチャンスに恵まれた。

 こうして船橋のマンションを賃貸に出してカナダのバンクーバーへ転居した訳である。次回はその経緯と世田谷へ転居するまでの話になる。 

  この世田谷物語は、そういった経緯のある京都人夫婦が世田谷を終の棲家としていく話なのであります。  

              ~~to be continued~~