<世田谷物語>-(1)プロローグ: 京都から~船橋へ

 

 世田谷に移り住んで35年目になる。

 その前は千葉県船橋市、そのまた前はカナダのB.C.州バンクーバー(2010年の冬季オリンピック開催都市)

  生れ育ちは京都市のど真ん中にある中京区。

 いわゆる洛中の町家でも、不動産屋が御所南と呼ぶ路線価の高い地域で、俵屋、炭屋、柊屋という京の三大老舗旅館はすぐ裏の通りという距離にあった。

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京の町家

  自宅から半径500メートル内には、北に京都御所・市役所・裁判所、南に錦市場(京の台所)、そして東に先斗町河原町といった繁華街もある。 

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  そんな男がどうして東京の世田谷に居ついたかをはしょって言うと、

 家業の呉服商(和装着物)を継がずに大阪の大学から商社に就職し、新入社員で東京勤務になった事に始まる。

  京都の家業を継がなかったいきさつもはしょって、いきなり新入社員の独身寮の話をすると、

 所在地は千葉県船橋市前原町で最寄り駅はJR津田沼であった。

  地図を捲って確かめると、隣の船橋駅は関西のTV番組でも川崎と並ぶ遊興地として取材されている地名であった。

 社会人の第一歩を踏み出すには、胸騒ぎをおぼえる地である。そして彼の地に引っ越して間もなく、オートレース場や競馬場にも近い事を知った。 

  独身寮から京橋の会社までの通勤時間は1時間で家賃はただみたいに安い。

 朝のラッシュアワーの満員電車さえ我慢すれば、給料を使い果たしても朝夕の食事代が翌月の給料天引なので喰いっぱぐれもない。

  難を言えば駅からのアクセスで急ぎ足で15分掛かることぐらいであった。

 朝は散歩の運動と思えば凌げるが、通勤帰りの夜道は堪えたので駅で仲間を募ってはタクシーの相乗りで帰寮した。  

  これぞ世にいうところの独身貴族であったが、寮生活はあっという間に規定による7年間の滞在リミットを迎え移転先を探さねばならない。

 東京に近い物件を買う金銭的余裕はなく、探し当てたのが船橋のマンションであった。それでも独身寮から1駅だけ東京に近づいた。

  入社10年目に結婚して所帯を持ったのもこのマンションであった。  

  ボクは船橋という土地に免疫が出来てそれなりに馴染んでいたが、京都に育った妻は異邦人の寂しさを味わっていた。

 しかも彼女の親戚が東京都目黒区の住人だったので、随分と肩身の狭い想いをさせた。彼女の頭は何が何でも東京に住みたい一念であったに違いない。

  そんな折に、結婚4年目で漸く海外駐在のチャンスに恵まれた。

 こうして船橋のマンションを賃貸に出してカナダのバンクーバーへ転居した訳である。次回はその経緯と世田谷へ転居するまでの話になる。 

  この世田谷物語は、そういった経緯のある京都人夫婦が世田谷を終の棲家としていく話なのであります。  

              ~~to be continued~~