<世田谷物語>-(7)Nostalgic town, 神保町

    学生時代に卒論のネタ本を探しに訪れた古本屋の街並は今も変りない。

    司馬遼太郎が新作に取り掛かると・・・・トラック単位で

   関連の書籍が神保町から消える~~、というのは有名な話。

       

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    古本屋の街並み

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       その頃の同期仲間と「読書会」で集うのが、学士会館

          そこは、同窓のOB会の会場でもある。

    2年前には、そのOB会で「卒50周年生」のお祝いの紅白饅頭

   貰った。

 

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    学士会館の正面玄関

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       TVドラマ「ハゲタカ」の撮影に使われた赤絨毯の廊下

 

    神保町は、訪れる人全てに青春を蘇らせてくれるNostalgic town

   であると同時に、今も学生街として若者のデートコースでもある。

   

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    表通りを一筋入ると、すずらん通り」は食堂街になり、

   学生・文人、そしてサラリーマンの胃袋を楽しませてくれる

   B級グルメが軒並みとなる。

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    駿河台下側には、江戸川乱歩が愛したという文人たちのたまり場

   天婦羅 はちまきが・・・・・

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    そして、旧満州の店を再現したという、スヰートポーズは、

   餃子と包子の専門店で御飯と味噌汁が付いた定食が流行っている。

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       その右隣りはレストラン「ろしあ亭

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     その向かい側には、いつ来ても列に並んで待つということで、

    有名なキッチン「南海」という洋食屋さん。

     学生のみならずサラリーマンの胃袋を満たしてくれる。

    カツカレー、生姜焼き、揚げ物、フライ・・・と盛沢山。

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   そして、神保町の交差点側の白山通に抜けて左折2軒目に

  見つけた鮮魚店が只者ではなかった。 

   鮮魚の陳列棚の前には「1階立ち呑み 営業中15:00~23:30

  という張り紙が・・・

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    店の名前は「サケクジラ鮮魚屋」・・・・仕入れ販売の終わった夕刻から

   店の鮮魚を捌いて調理し、「立ち呑み」をさせてくれる。

    名前の由来は・・・魚ならサケでも、クジラでも、「何でも屋」

   という意味と聞く。

 

    午後5時以降は~~2階で「座って呑める・・・」と言うので早速、

   読書会のあとに仲間と連れ立って恐る恐る訪れた。

    この年齢になると・・・・ネットに紹介の無い新しい店は冒険なのである。

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     店の佇まいは鉄骨の枠に階段を付けた掘立小屋。

   2階に調理場があり~3階も座って呑めるテーブルと、

  プラスチックの小椅子があるという。   

   2階の座席はこんな様子・・・・・

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    何とも飾り気のないオープン・スペースは、

   それなりに地中海の島の港町・・・・といった雰囲気であろうか?

 

    食べた料理は・・・刺身3点盛り(オリーブオイルと塩)、岩牡蠣

   サザエの壺焼き(ガーリック)、ホッキ貝のアヒージョ、ホタテ貝の煮焼き、

   鮪の目玉頬肉 、メヒカリのフリト・・・・・

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    調理はイタリアンの味付けが中心で、フレンチの料理もあり、

     中々の満足度である。

   何と言っても素材の鮮度が直営の強みであろうか。

 

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   飲み物は~~生ビール、焼酎、日本酒、ワイン、と試したが、

   やはり・・・和風ではないので「ワイン」が一番合いそうである。

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   高齢者としては・・・・大冒険のイタリアン風鮮魚居酒屋

  の試食会が、まずまずの出来栄えで

  「青春プレイバック」した一時でありました。

   

   まだまだ・・・・・神保町界隈の懐は深そうで、

  読書会やOB会のあとの息抜き・・・わいわいがやがや・・・

  と二次会で冒険が楽しめそうである。 

           ~~to    be   continued~~

<世田谷物語>-(6)Let's start [卓球ライフ]

  8月27日の午後9時過ぎスマホに連絡があり、ゲリラ豪雨の被害を受け、

 暫く休業になる、と言う。 「記録的短時間降雨」に襲われたのだ。

  その翌朝、卓球場から臨時休業のメールを受取った。

 

    メールには、 「~~店舗は1階が浸水、地下1階が水没したため、
    自由が丘本店は休業とさせていただきます。~~」 とある。  

   メールの送信者は、卓球場(株)タクティブ 自由が丘本店である。

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   そして、下欄の写真がメールに添付された「浸水・水没」の画像である。

        地下1階に預けたシューズ・ラケットは水没で全滅!!と宣告された。

  (勿論~~後日補償~~)

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    翌日から予約を他店へ振替える担当コーチの連絡が始まった。

  TACTIVEがは創業して4年目~~自由が丘本店を1号店として、   

   都内5店舗に、川崎、横浜、千葉、函館、~~と、9店舗出来た。

   http://www.tactive.co.jp/

 

   個人レッスンの担当コーチと共に川崎店にシフトした。 

  川崎は少し遠くなるが、それでも便利になったものである。

 

   常設の卓球教室や個人レッスンをプロのコーチから受ける場は少ない。

   高齢のビギナーが一念発起しても、好きな時に好きなだけ練習~~

  という訳にはいかないのが現実である。

 

   卓球を始めたのは10年前。同期の友人の奨めによる。

  半年ほどは月1~2回町田市の体育館で教えてくれたが、本ちゃんである彼は

  所属クラブのコーチもすれば試合にも出る。

 

   そこで彼がネット検索で探し出して、予約の申し込みまでやってくれたのが、

  ニッタクの卓球教室であった。

   http://www.nittaku.com/community/list.php?page=1&category=1

      

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   教室のレッスンは体育館か倉庫の片隅だろう、と高をくくっていたが、

  案内には秋葉原の本社ビルとある。

 

   この扉の前に立った時は、正直足がすくみ怖じ気づいた。

  地下の卓球場は照明ライトのスポットに照らされたスタジオであった。 

   通常は卓球製品の陳列・商談、撮影、プロ選手たちの練習場である。

 

   そして、高齢者ビギナーをコーチして頂くのは、テレビの解説でお馴染の

  鄭 慧萍(ていけいひょう)先生。

   2008年は北京オリンピックの時で、代表選手福原愛選手のコーチであった。

   

   レッスンは判らない言葉、出来ない試技ばかりで散々であった。

  まるで異郷の伏魔殿に紛れ込んだ小羊である。

   此処から‥‥卓球ライフの行脚と苦悩が始まった。

 

   先ずは、教室のメンバーに迷惑を掛けない為にはどうすればよいか?

  が最大の問題となった。

   銀座の事務所から週日の午後通える教室をネット検索し、候補地を

  見学して、

       足立区亀有の「親愛ムーサ」を選んだ

       http://mousa.takkyu.ne.jp/about/sisetu.php

 

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    此処で毎週1時間半、ご高齢のコーチの指導を受けた。

   練習の内容は「多球打ち」といって、コーチの繰出すボールをひたすら

   相手の台に打ち返す。

    フォアー~~バック、1分間に50-60球を7~8回。 

    これが終ると、生徒同士でラリーをする・・・・時には、オーナーの

   多田ご夫妻の手ほどきも・・・・

    

    次なるステップとして、卓球界のレジェンド荻村伊智朗設立の会員制クラブ

   「ITS三鷹」に毎週通った。

      https://www.its-mitaka.co.jp/   

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   初級・中級コースの教室で、織部コーチ(荻村代表の後継者)、

  呂コーチ、馬場コーチ(ARP所属)、そして・・・・・

  元オリンピック日本代表の遊澤コーチ

 

   これと並行して・・・・中野区の卓球場セナタク」で教室と

  個人レッスンを受けた。 http://www.senataku.com/couase.html

   オーナーの瀬名コーチ(創立時は都立家政駅の住宅街)、

  福場コーチ、大内コーチ。

 

   同じ頃、池袋コミュニティカレッジの「卓球教室」にも行った。

  教師は元世界女王(全日本選手権者)山中教子さん、ARP理論創始者

  である。http://arp-theory.com/arptheory_commentary/

   

   高齢者は「身体で覚える」スポーツの鍛錬に耐える体力がない

  何とか理論で補おうとすればするほど、迷いに迷う。 

   10年1日の如し・・・・随分と遠回りしたものである。

  多分同じところを何度も周回していたのであろう。

   日本には「流派が多すぎる」のではなかろうか。

   

   その迷える小羊に光明を与えた救世主は、元中国代表チームという経歴の

  二人のコーチであった。   

   10年間の我等が教師、ニッタク教室の「鄭先生」、

  そして鄭先生(元中国代表)の1世代後輩の「符倍コーチ」。 

 

    符倍コーチには1年前からTACTIVEで個人レッスンを受けて来た。

  二人の指導法には世代を超えた骨太の共通点があり、

   その徹底した合理性には一点の曇りもない。

  そのお蔭で枝葉末節の苦悩は払拭した。

 

   暗中模索のMy卓球ライフは「継続は力なり」を確信させてくれ、

  何の迷いもなく卓球に打込めることは有難い事である。

 
      ニッタクの公式H/Pに照会される鄭先生の輝かしい戦歴
   憶え切れない程多い。(下欄参照)
    またニッタクとのコラボ事業である、
   ミニ講習会付きの「ジャスミンカップ卓球大会」を開催して   
    日本に於ける卓球の普及に多大の貢献をされている。
 
    更に下欄のプロフィールからその多才ぶりが窺える。                  
                       ~~to    be continued ~~
 
  鄭 慧萍(ていけいひょう)先生プロフィール
公益財団法人日本体育協会公認スポーツ指導員卓球コーチ 。
【主な経歴】

中国代表チームで活躍した後、来日。
全日本社会人卓球選手権大会 女子シングルス優勝、女子ダブルス優勝。

全日本卓球選手権大会 2冠 女子ダブルス、混合ダブルス優勝。


福原愛選手元コーチ(アテネ五輪予選、北京五輪、世界選手権横浜大会)として活躍。

大正大学卓球部コーチ インカレ優勝、関東学生リーグ一部優勝、全日本選手権女子シングルス準優勝。


その他(テレビ出演、雑誌連載など)実績多数。

NHKスポーツ大陸
北京テレビ・NHK合作『アジアクロスロード』
フジテレビ『アテネ五輪開幕式特別番組』『スーパーニュース』『知りたがり』
TBSテレビ『ニュース23クロス』
テレビ朝日あさナビ』   
TBSラジオ生島ヒロシのおはよう一直線』
NACK5『JO-SPO』 

埼玉県多文化共生推進委員会委員。

中国語講師(コニシ株式会社 等)など多彩な方面で活躍中。

◆TTC浦和 卓球教室

◆ニッタク本社・卓球教室

 

 

<世田谷物語>-(5)What's found in ”AKIBA”界隈

 かつての家電王国AKLIBAが→量販店・通販に取って代られて久しい。

そして今や→「ホビー王国」としてゲーム~グッヅ、さらに癒し系の「メイド・カフェー」でご主人様にもなれる。

 

 そんなAKIBAにもう一つの顔を見つけた。都営新宿線「岩本町」駅から神田川沿いに辿って行く。

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  和泉橋の「船着場」に人だかり??と思いきや~~

 人の集まる目的は~~「喫煙:SMOKING]にあった。

 

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    マップで確認すると・・・「千代田区指定喫煙所」のマークがあった。

  この丁度裏側に有料の「Cycle Parking」を見つけた。

   自転車・バイクで来た人たちへのサービス。

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神田川御茶ノ水方面へたどると、万世橋の船着場に出る。

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  此処は老朽化の故か、立ち入り禁止になっていた。

 

  万世橋から和泉橋~浅草橋方面を振り返ると、昔ながらの運河の風情が偲ばれる。

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  逆方面のお茶の水へは~~JR中央本線総武線が乗り入れる箇所になり、

  その高架鉄道路の橋脚はレトロな煉瓦造りであった.。

 

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  いよいよ~~電気街へと右折して進むと、夕暮れの街頭に「メイド」さん達の

  呼込みが始まっていた。

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  配られたチラシによると~~「癒しコース」30分 4,000円

  「アロマコース」 90分 13,000円であった。

 

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 当方は午後6時から飲み会の時間となり、

 この一角にあるダイニングバーへと急いだ。

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  午後9時半に散会して元来た都営新宿線「岩本町」へ戻る途中、ひときわ賑わう

 一角に出くわした。  

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  「立呑み ”串吟”」とある。店の外まで客が溢れている

   ~~若い女性が多いので料理も美味しそうであっが・・・・

  残念ながら当方既に満腹状態~~~次回是非トライしたい店であった。

        ーーto be continuedーー

 

<世田谷物語>-(4)What's booming in 桜新町(老人天国万歳)

 当地もちょっとした建設ブーム。

まずは、オリンピック競技の馬事公苑の増改築が急ピッチで工事中。

 

 それに並行して来年の消費増税を睨んだ駆け込み建設ラッシュ。

介護施設・大型マンションがようやく一段落。 

 現在は駅前通りが追込みに入った。

 

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     「KALDI 桜新町駅前店」昨年末オープン。1~2階がコーヒー・リカー・菓子類・ドライフーヅ売場。3階はダイニング・バー

 

 

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    駅前通りの向かい側では、パチンコ屋が→商業施設に改築。

  物販店舗にオフィスが1~2か月中にも開店しそう。

  これに呼応して、駅前商店街では飲食店の増改築・新築が真っ盛り。

 

 また一方では、100~200米内に同じく「事務所(1階物販店舗)」が更地になったばかり。果たして全て来年10月に間に合うのだろうか?

 

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 また「共同住宅(1階店舗)」も解体が終わり整地中。

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    下欄の写真は・・・・ 更に3ブロック入った更地で、

「ライフ 桜新町店」の骨組みが見えてきた。平成31年10月31日工事完了予定とある。

 こちらはチェーン店の綜合商業施設。食品売り場に、サービス・ショップ、物販店、レストラン等のテナントが入るもよう

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  駅から300~400米には既存の食品スーパーが6店舗あり、「ライフ」の新規参入で

7店目、熾烈な販売競争になりそう。これでスーパーがコンビニよりも数が多くなる。

 

 買物弱者、老人には福音だ。

既存スーパーは、ピーコック、いなげや成城石井、ムスビ・ガーデン・まいばすけっと、マルダイ生鮮市場。

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    老人天国万歳~~~

 

<世田谷物語>ー(3)バンクーバー駐在の4年間

プロローグの続き;京都から~船橋~そしてバンクーバー

 バンクーバーへ赴任しての急務はアパート探しであった。

 平社員の給料では、庭・車庫付きの戸建て住宅は望むべくもなく、駐在員仲間と同じタウンハウスを借りた。

 ベランダ付の2LDK。北米サイズは日本より5割方広かったがオフィスのあるダウンタウンに遠く通勤ラッシュに悩まされた。

 外航船が行き交う入江に架かる橋がネックであった。

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 <上欄の写真>左端のビルがオフィスの入っていたCPビル。

バンクーバー港発の豪華客船は「ラブボート」と呼ばれ、→カリフォルニア~アラスカ~北極の航路がある。

 

 2年目には我慢ならず、通勤に便利なダウンタウンのマンションへ引っ越した。

これで通勤は車で7~8分。外洋の海岸~観光名所の公園まで徒歩5~10分という環境であった。

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  マンションは写真の右端の奥。6階のベランダ付・2LDKであったがサイズは日本並みと狭くなった。

 それでも6階のベランダからは太平洋の水平線が望め、湾内に待機する貨物船が見られた。親戚・友人・知人だけでなく、出張して来る後輩たちも泊まりに来た。

 

 妻は英会話教室で知り合った外国人をよく家庭料理に招待した。京風の「ちらし寿司」や天婦羅が好評であった。

 お返しにスイス人から「チーズ・ホンジュ」韓国人から「キムチ」を習ったりした。

 

同じころ、クラスに通う日本人画家KUNIとも仲良くなり未だに家族ぐるみの付合いが続いている。

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   上欄の写真はKUNI邸の裏庭。

 神戸出身の彼とは同じ関西人という乗りで馬が合ったようだ。

 

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  上欄の写真はKUNI邸の廊下に見かけた色の楽しい絵画。

 XMASカードには毎年の世相を風刺した愉しいデザイン画を送ってくれる。

  彼は高級住宅街の大抵宅に加え、ヨットのオーナーでもある。奥様はドイツ人。

  

 かくして4年間の海外駐在はあっという間に過ぎ・・・・帰国して住んだのは元の

船橋のマンションであった。世田谷へ辿り着くのは帰国の1年後になる。

        ーーto be continuedーー

<世田谷物語>-(2)What's new today in YOUGA

f:id:KH1580097:20180901184158j:plain完熟バナナ

上欄

フルーツ台に吊るしたバナナ4本が同時に完熟・・・・・朝食のヨーグルトはこの

完熟バナナに酸っぱいグレープフルーツの取り合わせが抜群で完璧な前菜になりました。「今まさに熟れし歓び夏の果」

下欄

用賀駅前の奇抜にしてリアルな宣伝壁画・・・・有名なフランスはリヨンの「だまし絵」を凌駕する傑作ではありませんか!!フランスで客死した藤田嗣治も生きていれば絶賛してくれたでしょう!!ちなみにこの会社は「設計・内装リフォーム会社」です。

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<世田谷物語>-(1)プロローグ: 京都から~船橋へ

 

 世田谷に移り住んで35年目になる。

 その前は千葉県船橋市、そのまた前はカナダのB.C.州バンクーバー(2010年の冬季オリンピック開催都市)

  生れ育ちは京都市のど真ん中にある中京区。

 いわゆる洛中の町家でも、不動産屋が御所南と呼ぶ路線価の高い地域で、俵屋、炭屋、柊屋という京の三大老舗旅館はすぐ裏の通りという距離にあった。

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京の町家

  自宅から半径500メートル内には、北に京都御所・市役所・裁判所、南に錦市場(京の台所)、そして東に先斗町河原町といった繁華街もある。 

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  そんな男がどうして東京の世田谷に居ついたかをはしょって言うと、

 家業の呉服商(和装着物)を継がずに大阪の大学から商社に就職し、新入社員で東京勤務になった事に始まる。

  京都の家業を継がなかったいきさつもはしょって、いきなり新入社員の独身寮の話をすると、

 所在地は千葉県船橋市前原町で最寄り駅はJR津田沼であった。

  地図を捲って確かめると、隣の船橋駅は関西のTV番組でも川崎と並ぶ遊興地として取材されている地名であった。

 社会人の第一歩を踏み出すには、胸騒ぎをおぼえる地である。そして彼の地に引っ越して間もなく、オートレース場や競馬場にも近い事を知った。 

  独身寮から京橋の会社までの通勤時間は1時間で家賃はただみたいに安い。

 朝のラッシュアワーの満員電車さえ我慢すれば、給料を使い果たしても朝夕の食事代が翌月の給料天引なので喰いっぱぐれもない。

  難を言えば駅からのアクセスで急ぎ足で15分掛かることぐらいであった。

 朝は散歩の運動と思えば凌げるが、通勤帰りの夜道は堪えたので駅で仲間を募ってはタクシーの相乗りで帰寮した。  

  これぞ世にいうところの独身貴族であったが、寮生活はあっという間に規定による7年間の滞在リミットを迎え移転先を探さねばならない。

 東京に近い物件を買う金銭的余裕はなく、探し当てたのが船橋のマンションであった。それでも独身寮から1駅だけ東京に近づいた。

  入社10年目に結婚して所帯を持ったのもこのマンションであった。  

  ボクは船橋という土地に免疫が出来てそれなりに馴染んでいたが、京都に育った妻は異邦人の寂しさを味わっていた。

 しかも彼女の親戚が東京都目黒区の住人だったので、随分と肩身の狭い想いをさせた。彼女の頭は何が何でも東京に住みたい一念であったに違いない。

  そんな折に、結婚4年目で漸く海外駐在のチャンスに恵まれた。

 こうして船橋のマンションを賃貸に出してカナダのバンクーバーへ転居した訳である。次回はその経緯と世田谷へ転居するまでの話になる。 

  この世田谷物語は、そういった経緯のある京都人夫婦が世田谷を終の棲家としていく話なのであります。  

              ~~to be continued~~