<世田谷物語>ー(3)バンクーバー駐在の4年間

プロローグの続き;京都から~船橋~そしてバンクーバー

 バンクーバーへ赴任しての急務はアパート探しであった。

 平社員の給料では、庭・車庫付きの戸建て住宅は望むべくもなく、駐在員仲間と同じタウンハウスを借りた。

 ベランダ付の2LDK。北米サイズは日本より5割方広かったがオフィスのあるダウンタウンに遠く通勤ラッシュに悩まされた。

 外航船が行き交う入江に架かる橋がネックであった。

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 <上欄の写真>左端のビルがオフィスの入っていたCPビル。

バンクーバー港発の豪華客船は「ラブボート」と呼ばれ、→カリフォルニア~アラスカ~北極の航路がある。

 

 2年目には我慢ならず、通勤に便利なダウンタウンのマンションへ引っ越した。

これで通勤は車で7~8分。外洋の海岸~観光名所の公園まで徒歩5~10分という環境であった。

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  マンションは写真の右端の奥。6階のベランダ付・2LDKであったがサイズは日本並みと狭くなった。

 それでも6階のベランダからは太平洋の水平線が望め、湾内に待機する貨物船が見られた。親戚・友人・知人だけでなく、出張して来る後輩たちも泊まりに来た。

 

 妻は英会話教室で知り合った外国人をよく家庭料理に招待した。京風の「ちらし寿司」や天婦羅が好評であった。

 お返しにスイス人から「チーズ・ホンジュ」韓国人から「キムチ」を習ったりした。

 

同じころ、クラスに通う日本人画家KUNIとも仲良くなり未だに家族ぐるみの付合いが続いている。

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   上欄の写真はKUNI邸の裏庭。

 神戸出身の彼とは同じ関西人という乗りで馬が合ったようだ。

 

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  上欄の写真はKUNI邸の廊下に見かけた色の楽しい絵画。

 XMASカードには毎年の世相を風刺した愉しいデザイン画を送ってくれる。

  彼は高級住宅街の大抵宅に加え、ヨットのオーナーでもある。奥様はドイツ人。

  

 かくして4年間の海外駐在はあっという間に過ぎ・・・・帰国して住んだのは元の

船橋のマンションであった。世田谷へ辿り着くのは帰国の1年後になる。

        ーーto be continuedーー